面倒くさがりなりに、優雅をめざす――シングル・ライフ

リアルでは口にしづらい、お財布事情や断捨離、日々の生活、趣味などあれこれ。

1年2か月ぶりに母と会った

コロナ禍が始まって以来、母と会ったのは今日で二度目です。
こんなことになるとは思ってもみませんでした。
以前は一か月おきくらいには会っていて、流行が落ち着いてきた去年の10月には、いっしょに食事して、「じゃあまた、お正月に」と言っていたのに。
それからまた流行がひどいことになって。


(いっしょに食べたお昼は、牡蠣とウニのパスタ。おいしかったです)


うちは父が、高齢のうえいわゆる基礎疾患持ちなので(しかもご近所はそういう方が多いので)、「残念だけどもう少し落ち着くまで、家族が集まるのはよそう」ということになってしまったのでした。
感染者の多い都心へ通勤している人間が行くのは、やはり心配だと。


覚悟はしていましたが、わたしより6cm低いはずの母は、久しぶりに会うともっとずっと小柄に見えました。
それ以上に、若いころ声楽の訓練を受けた声に、年齢による衰えが出ていました。


子供は一年会わないとびっくりするくらい大きくなっていますが、年を取ると反対の意味で、一年が貴重だと実感させられました。
会えるときに少しでも多く会っておきたい。
今週末には、今度こそ家族が集まる予定です。


昨日、クリスマスになると見る動画の話を書きましたが、クリスマスになると思い出す映画(原作の小説も)もあります。



ジョン・ヒューストンの『ザ・デッド』(1988)。
1904年、アイルランドのクリスマスイヴが舞台で、年取った三姉妹が用意したディナー・パーティに、例年のように親戚が集まって楽しく食事する。
帰り際にあったささいな出来事から、主人公の男性は、少女時代の妻のことを命がけで恋して死んでいった少年がいたことを知り、すっかり理解して自分のもののように感じていた妻が、指の間からすり抜けていってしまったような感触に襲われる。
――という、アクションシーンも恋愛ドラマもない、ひょっとすると、何も起こらないようにも見えかねない作品です。



このパーティの最中に、かつて美声で有名だった三姉妹の長女が、余興で歌うことになります。



うまいんですが、寄る年波には勝てず、声が細くなりビブラートがかかりすぎていて、主人公は褒めつつも内心「衰えたな」と思うんです。


母に会って、今年はいっそう、この作品が胸にしみます。
母は年齢の割には、わたしが知る限りでは病気もしないし、元気なほうだとは思うのですが。


帰宅して、NHKを録画しておいた、今日午後の全国高校駅伝を見て、ひとりで盛り上がりました。
一番生命力がはじけるような年頃の、高校生たちの躍動感は、午前中に感じたことと、偶然とはいえ鮮明なコントラストだったので、よけいに感慨にふけってしまいました。