面倒くさがりなりに、優雅をめざす――シングル・ライフ

リアルでは口にしづらい、お財布事情や断捨離、日々の生活、趣味などあれこれ。

ひとり暮らしだから許せるメニュー

ひさしぶりに肉じゃがが食べたいと思いながら、一昨日にスーパーへ行ったら、牛ひき肉が安めになっていました。
よし、そぼろ煮にしよう、と思ったはいいけど、1パックの量が多め。
半分冷凍するのもどうかという、中途半端な多さだったんです。


なので昨晩、その肉に見合う分量のじゃがいも(と、玉ねぎ)を合わせて煮て。



おいしかったけど、四日間くらい、がっつり食べる必要がありそうな分量が、どーんとできました(^_^;)
昨晩食べて、まだ、野田琺瑯のレクタングルMサイズにいっぱい……。


家族がいたら苦情が出ますが、ひとり暮らしだから、「ま、いっか」で。



今回に限らず、肉じゃがはおでんと並んで、わが家では作りすぎがちな献立。



そして、肉じゃがを作ろうとするたびに思い出すのが、柴田元幸『生半可な學者』の、この一節です。


 肉じゃが、という名称はどうもサギじゃないか、という気が昔からしている。だってそうでしょう? 町の定食屋あたりで出てくる肉じゃがというのは、じゃがいもを中心に玉ねぎその他の安価な野菜がごっそりあるなか、肉眼ではにわかにそれと認識しがたいほどの微小な肉片が、あたかも神の恩寵のごとく時おりその姿をのぞかせているにすぎない。肉とじゃがいもの比率を正確に表わすなら、あれは「肉じゃが」と呼ばれるべきではない。肉じゃがじゃがじゃがじゃがじゃがじゃがじゃが……

(中略)

 文句があるなら自分で、肉とじゃがいもとがたがいに同等に自己主張しあった、比率1対1の「文字どおり」の肉じゃがを作ればいいわけだが、実際にやってみるとこれはあまり賢明なアイデアではない。せいぜい1対5、肉じゃがじゃがじゃがじゃがじゃがくらいが適当であるようだ。神の恩寵もそうしょっちゅう実現してしまっては有難味がない。


牛肉はおいしいけど、たまにでいいかな。